忘れられない友人からの言葉
みなさん、こんにちは。
三陸沿岸部でボランティア活動や移住がきっかけでつながった縁が、かけがえのないご縁になっている人が大勢います。
今日は、2013年4月に新潟県から三陸に移住した小出悟くんが、忘れられない縁を感じた人とのエピソードをご紹介します。
※小出君の移住体験談はこちらです。
https://i-turn-jp.net/voice/koide
僕が東北に来て間もないころ、三陸沿岸部を案内してくれた仲間がいました。名前は大野雄基くんといい、当時生活していたシェアハウスのルームメイトでした。
※奥の黒い服が大野くんです。南三陸でシェアメイトだった時の写真
彼は、岐阜県出身で大学では情報工学を専攻して大学院まで進んだ経歴の持ち主です。南三陸でパソコン教室を開いたり、Webデザイナーとして活動するなど、自分のスキルを東北で活かした活動をしていましたが、彼が一番力を入れていたのは被災地でのガイドです。彼のガイドで気仙沼を訪れたことがあります。
その時、いまは撤去されてありませんが、「第18共徳丸」という場所を案内してもらいました。漁船が国道まで流されてきた信じ難い光景に言葉を失った記憶があります。彼は強い口調で「被災地は観光地ではない」と言っていました。この漁船の下には人の家があり、悲しい記憶があるのにそこで記念撮影を行ったり、笑っていられる人の気がしれないと。彼が当時、そのような内容をFacebookに投稿した記事は大反響を呼び、いいねが5000を超え、3000人の方にシェアされました。
彼にガイドをしてもらってから、しばらく共徳丸があった場所を訪れていませんでした。車を持つようになり、当時は歩いて回っていた場所も通り過ぎるようになっていましたが、今回6年ぶりに共徳丸の周りを歩いてきました。僕が移住をしてすぐに共徳丸は所有者の意向により解体が決まったので今は漁船はありません。
ここに昔漁船があったとは信じられませんね。現在は更地になりましたが、周りには公園が作られたり飲食店が次々にオープンするなど開発が進んでおり、BRTというバスの駅も新しくできて、アクセスもよくなりました。
復興が進んでいく中で、きっかけは震災でしたが、三陸地域に魅力を感じて戻ってくる人が増えました。僕のように移住を決断した仲間もたくさんいます。豊かな自然、豊富な海産物、人のあたたかさなど、たくさんの魅力をPRし、観光地として地域を盛り上げる活動も盛んになっています。しかし、「震災遺構を観光地にしてはいけない」という大野くんの言葉を思い出しました。
震災を経験していない自分が安易に観光地という言葉に乗り、ガイドをしてしまっていることに気づかされました。日々の暮らしの中で復興していく町に、震災の記憶を決して忘れてはいけない。。。そして多くの仲間の存在があり、今の自分がいるのだということも実感しました。被災地ではなく観光地として地域を盛り上げようとする素晴らしい活動に目を奪われ、大切な過去の記憶を忘れていましたが、もう一度初心に帰り、今の自分を見つめ直すことができた貴重な時間でした。
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