コラム

旅・ひと

◎◎第一回南三陸ビーチアルティメット◎◎

青い空、綺麗な海、白く輝く砂浜、飛び交うディスクとたくさんの笑い声。
2017年9月3日、第1回南三陸ビーチアルティメット大会が開催されました。
大会の会場は宮城県南三陸町志津川袖浜地区の人口海水浴場「サンオーレ袖浜」。
震災で大きな被害を受け、2017年7月15日、7年ぶりに再会した海水浴場です。

 


(サンオーレ袖浜海水浴場)

 

アルティメットはバスケットボールとアメリカンフットボールを合わせたような競技で、フライングディスク(いわゆるフリスビー)を用いて行うスポーツです。大学生を中心にして普及してきているものの、その知名度はまだまだ低く、今年4月までは「アルティメット」という言葉をこの地で聞くなんて思いもしませんでした。

 

そんな競技の大会がなぜ開催されることになったのか。
きっかけは1人の女の子の移住でした。今年4月、大学を卒業した宮岡茜さん(23)が南三陸へ移住しました。もともとボランティアで南三陸を何度も訪れていた宮岡さん。彼女は大学時代アルティメットに没頭し、日本代表U20のマネージャーとして世界大会にも出場していました。アルティメットが大好きな彼女。南三陸でもアルティメットがしたいと強く願っていましたが、最初は仲間も、場所もなく諦めていました。
そんな時出会ったのが、スポーツで人々の生活をよくしたいとの思いをもつ1つ年上の佐藤慶治さん(24)。南三陸出身で一度は大学で仙台へ出ましたが、昨年Uターンで戻って来ました。
そんな2人が出会い、周りからもやってみたい!と声が上がり、練習がスタートしました。(ライターの私はたまたまアルティメット経験者で2人が出会った場に居合わせていました。)

 


(左)佐藤慶治さん (右)宮岡茜さん

 

復興半ば、学校のグラウンドには仮設住宅。見渡す景色はかさ上げ工事。

 


(まちの様子、見渡す限りの工事)

 

まだまだ使えるグラウンドが少ない南三陸・気仙沼地区。本来アルティメットは外でやるスポーツですが、使えるグラウンドはなく、アルティメットをするには少し狭い小学校の体育館での練習が始まりました。
地元出身の佐藤慶治さんが場所の確保に動き、宮岡さんが競技の楽しさを伝える。2人の優しい人柄と熱い想いに魅せられて、その輪はみるみるうちに広がっていきました。

 


(練習を始めた当時の様子。ここからHoyaaaaaaaZが生まれる。)

 

「ビーチアルティメットの大会がしたい。」
定期的に練習をするようになってきた頃、突然宮岡さんがそんなことを言い出しました。もともと綺麗なビーチがたくさんあった南三陸・気仙沼地区ですが、震災後の地盤沈下の影響で砂浜がなくなり、7年経った今でも海水浴場として使用できるのは気仙沼大島の「小田の浜」、南三陸歌津の長須賀海水浴場、そして今年ようやく整備が終わった「サンオーレ袖浜」だけでした。

 

場所の確保が難しく、東北では過去に行われたことがないビーチアルティメットの大会。そんな夢のような話でしたが、不思議と誰もがやろうという気持ちになっていました。
それからは必死でした。毎日連絡を取り合い、仕事の合間を見つけては集まる。
実行委員は4人。宮岡さん、佐藤慶治さん、南三陸出身の佐藤一也さん、そしてライターの私。
大会運営経験者の宮岡さんが全体の統括と、アルティメット協会とのつなぎ役を。
佐藤慶治さんが場所の確保と役場関係の手続きを。
地元との繋がりの強い佐藤一也さんが参加賞の海産物の準備を。
そして私は気仙沼の人をつなぐことを。

 


(実行委員の4人)

 

そしていつの間にか練習を一緒にやっていたメンバーで南三陸・気仙沼合同チーム「HoyaaaaaaaZ」が結成。(チーム名は三陸で有名な海産物のホヤからきています。)ほとんどが初心者の中、全チーム最多の18人で大会に出場しました。
手探りの状況の中、HoyaaaaaaaZのメンバーが協力してくれたこと、アルティメットを楽しんでくれたこと、それが大会の原動力でもありました。

 

当日は12チーム、143人の参加者。
大会を楽しむだけでなく、南三陸に来てよかった。また来たい。と思える大会を目標にしました。アルティメットの大会ではほとんど見られない地元の食材を使った飲食ブース。参加賞は大きなホタテと新鮮なホヤ串。大会の景品のほとんどが南三陸・気仙沼エリアのグッズや加工品。

 


(大会に協力してくれたクラブジュニアの社長と宮城県フライングディスク協会の会長)

 

晴天にも恵まれ、青空の下たくさんの笑い声が飛び交いました。
「楽しかった、また来年も来たいです」
そんな声を聞くたびに涙が出そうになりました。

 

 

移住してきてよかった。

 

美味しい食べ物や優しいおじいちゃんおばあちゃんが大好きでした。でも正直ずっとないものばかりだと思っていました。私たちの世代が楽しく遊べる場所がない。同世代は少なく、気軽に遊べる友達がなかなかできない。
遠くにいる友達のSNSを見るたびに、大好きな友達がたくさんいて、なんでもある横浜に戻りたいなあと何度も思いました。

 

でもないんじゃない、自分がないと、できないと思い込んでいただけだった。少し頑張れば友達だってたくさんできるし、楽しい居場所だってできた。

 

なければ作ればいい。この地には応援してくれる温かい人がたくさんいる。若者は少ないけれど、そのぶん一人一人が輝いていて必要とされる。みんなが仲良くなれる。

 

今なら胸を張っていえます。このまちが大好きです。

 

 

ライター紹介
・名前 momo 26歳
・ 出身 静岡県
・気仙沼歴 2年
・ 自由に自己紹介
高校卒業後横浜で7年暮らす。2015年12月に美味しい食べ物とこの地に住む人々が好きで気仙沼に移住。大学時代からアルティメットを始めたが、移住後はやる機会に恵まれずにいた。

 
 
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