人生の先輩方から、いろんなことを沢山教えてもらえます。
東京都出身 / 煙山美帆さん移住を決めたきっかけ
私の移住のきっかけは、私自身も2011年3月からボランティア活動でした。
当時はアルバイトをしていてフリーターだったんですが、毎月陸前高田市へ通っていくうちに、「なんかこうゆうところで暮らしたり、生きていくのもいいな」と漠然と思ってきました。そして、ボランティア活動を続けていくうちに、もっと活動を続けて行きたい、陸前高田市ともっと関わっていきたいと思う気持ちが強くなってきたんです。
そこで、自分自身もフリーターで、背負っているものも何もないし、犠牲になるものもないなと思ったときに、「よし、陸前高田で生きていくことも出来る」と思って、2012年8月に移住資金も東京で貯めてから移住してきました。
実際に住んでみて
2012年に移住してきてから、最初はボランティア活動をとにかくがむしゃらに走っていました。
実際は、2014年以降の方が、ここで暮らしているという実感が持っていて、きっかけは、結婚、妊娠出産なんですけど、住んでみて「やっぱりここは、自分が生きる場所だったんだな」と感じています。
自分が生まれて育ってきた東京も好きなんですが、陸前高田に戻る度に、「待ってくれている人がいる」という状況が、もっと好きで、物があまりないからこそ「自分がここにいるぞ、生きているぞ」という実感をささいな日常の出来事から感じる日々があるなと、結婚してから強く感じますね。
あと、私は生まれも育ちも東京だったので、学校が長期休みとなると、友達が田舎に帰るというのが、とても羨ましかったんです。そういう思いもあったからなのかもしれませんね。
移住を考えている人へメッセージ
復興や地方創生という言葉より、もっと人として自然な形で生きていきたいとか、子育てを自然と共に過ごしていきたいという人たちには、このような場所がすごく合うんじゃないかなと思います。
実際、生活面で、気軽に子どもを連れて行ける場所が少ないとか、習い事とか都会と比べて圧倒的に数が違うので、そういう面ではちょっと不便だなと思うこともありますが、何より地元の人たちも、新しい人たちが来ることを喜んでくれていますし、人生の先輩方から、いろんなことを沢山教えてくれます。
例えば、四季折々の食材が軒下に干していく知恵や、戦争の話を聞いたり、また漁師町なので遠洋漁業に出ていた家庭が多く、家庭は当時はお母さんが家を切り盛りしていて、3世代4世代が暮らしていて、一番多い時は16人で暮らしていたんだよ。とか、ドラマで見てきたことが、今までの日本の中で本当にあった暮らしなんだと思うことがたくさんあります。
東京で感じていたおじいちゃんおばあちゃんは、どこか弱々しいというか、高齢者という感じで優しくしてあげましょうという雰囲気を感じていましたが、こっちは高齢者ではなく、いつまでも生涯現役みたいな感じが多いので、だからこそ頼れる部分があるので、どんどん色んな事を聞けるし教えてもらえると思います。なので、いまの時代だからこそ、この土地に女性が暮らすことには、実は深い意味があるのかなと思ったりもします。
まずは、ぜひ一度訪れて体験してみて欲しいですね。